町の成り立ち

 16世紀頃には、都市住民の地縁的共同体である町が発展し、それが連帯して集団的な行動を行うようになりました。16世紀中頃には、上京・下京それぞれの地域ごとにいくつかの町が連合して町組を結成するようになり、さらに町組の上に上京・下京の惣町(そうちょう)組織が成立しました。
 戦乱の世のなかで、上京・下京の都市民衆は、こうした地縁的な生活共同体である町(ちょう)を基盤として、人夫役などの諸役免除(しょえきめんじょ)などを求め、また生活の安全や祭を維持するために、自治的な活動を行いました。
 生活空間を防御する「構(かまえ)」も、やがては町や町組が積極的、計画的に構築・維持するようになりました。

町家の模型(京のまちかど)
町家の模型(京のまちかど)

 また、扇屋や織物業など、同業者が集住する「まち」もつくられるようになりました。扇の特産地として広く知られた小川の地域には、狩野辻子を本拠とした狩野家を頂点とする絵師、扇屋の集住地があり、小川の西の堀川以西には、大舎人座(おおとねりざ)の織物業集団の本拠地西陣、小川の東には大舎人座に対抗する練貫座(ねりぬきざ)の人々の集住地、白雲絹屋町(しらくもきぬやちょう)がありました。
 戦国の乱世は、町中にそれぞれ法度(はっと)が定められたり、生活基盤である「町」共同体の規制=町式目(ちょうしきもく)が普及したりと、「町(ちょう)共同体が確立し、さらにそれらが統一権力の都市支配機構の中に組み込まれることになり、まちづくりにも大きな進展と変容がありました。

法度(はっと):おきて。法律。
町式目(ちょうしきもく):町のおきて。ちょうおきて町掟。