京町家とまちづくり

 除々に力を付けてきた都市住民たちは、自らの暮らしの拠点を大路、小路に面した空間に求め、ここに、小屋を造ってきました。これが京町家の始まりであり、1160年頃のことだと言われています。
 更に力を付けた都市住民は、公家たちから通りに面した屋敷地を買い取り、築地塀を壊し、道に面した建物を建築するようになりました。こうして通りに開いて商売を行う京町家の原型は、やがて連ねて建ち並び、その店に用事のあるほかの都市住民が頻繁に往来するようになりました。
 江戸時代に入って社会が安定すると、経済も順調に成長し、都市住民の生活が豊かになるとともに、様々な技術も発達しました。工具の発達により、京町家には華奢(きゃしゃ)で洗練された千本格子がみられるようになり、桟瓦(さんがわら)の出現により、大規模な建物も可能となりました。
 さらに、こうした建築技術の発達により、畳や建具の寸法が統一され、どの家の建具でも共有できるようになると同時に、共通の寸法や素材による統一感のある建築意匠となり、今日の京町家の原型を形成しました。

町家の模型(京のまちかど)
瓦屋根
虫籠窓

 この時期、京都の町人は日常生活をできるだけ円満に行うための様々な約束事を「町式目」として定めていましたが、そこには町家の構えについての規定もありました。
 こうした町の約束事を背景に、一階に「ばったりしょうぎ床机(あげ見世)」と「出格子」、「通り庇(ひさし)」、二階に虫籠窓(むしこまど)や土塗りの壁、切妻造りの平入、棧瓦の屋根、弁柄(べんがら)塗りの木部、といった町家の表のつくりは、自然に整然とした統一感のある独自の町並みを形づくりました。