1.京町家とは
対象とする京町家とは
京町家と言っても定義はさまざまで、実は統一された見解はありませんが、一般的に敷地形状は、うなぎの寝床といわれるように奥行が長く、その構造は伝統的な軸組木造であり、間取りには通り庭、続き間、坪庭、奥庭を保っているか、それらを過去に有していた建物を京町家と呼んでいます。 外観の特徴として、瓦屋根、大戸・格子戸、出格子、虫籠窓、土壁などが見られます。また、都市住民が都市の中で高密度に住み、往来の人との交流やふれあいを前提として商い、生産する建物であるという性格上、その外壁は通りに面し、隣の建物とは近接し、軒を連ねているという特徴をもっています。
京町家の原型は江戸中期に形成されたが、その後伝統を保ちながらも、その様式は時代と共に変化し続けています。
特に、戦後の改変は大きく、一見するとビルのような「看板建築」も町家が姿を変えたものです。
2.京町家の形成の歴史
両側町というコミュニティ
京町家の始まりは、平安時代に遡ります。平安京の時代、公家たちによって地方から徴用されてきたものづくりや商いを営んでいた人々が、都市住民として京都に定着するようになり、通りに面した屋敷地を公家たちから買い取り、自らの暮らしの拠点を大路、小路に面した空間に求めました。そこに小屋を造ったのが京町家の始まりのようです。
通りに開いて商売を行う京町家の原型は、やがて軒を連ねて建ち並び、通りは単に、通行の用だけに供する都市施設ではなくなり、会話や様々な活動が営まれる場となりました。
このように、京都では、通りに囲まれた内側にコミュニティを形成した欧米の都市とは異なり、通りを挟んだ両側町というコミュニティを形成していきました。
京町家に挟まれた両側町の都市住民の生活は、ますます豊かになり、周辺からの略奪から身を守ることが必要になりましたが、集まって住むことで利益を共存していた都市住民は、個人で防衛するのではなく、集団で防衛することで、その費用や労力を共同で負担していたようです。
江戸時代になると、都市化が進み、防火、塵芥(じんかい)・し尿処理、清掃などの生活問題についても共同で対処するようになり、こうした各種の自治活動については「町式目」「町定」という名前で、町を共同で守り、育てていく住民のあり方も含め、町の運営ルールが明文化されていました。
今日の京町家の原型
江戸時代に入って長期に社会が安定すると、経済も順調に成長し、都市住民の生活が豊かになるとともに、様々な技術も発達し、建築技術の合理化が進みました。例えば、葺き土が必要なさん瓦の発明は、瓦屋根を普及させ、雨漏りをなくさせ、畳が普及するようになりました。こうした建築技術・工法の発達と建築工事の普及は、今日でいう工事の標準化、規格化を促し、畳や建具の寸法が統一されました。このことで、どの家の建具でも共有できるようになると同時に、共通の寸法体系や素材による統一感のある建築意匠を形成し、今日の京町家の原型が形成されたのです。
こうして形成された京町家は、京都の産物の流通とともに全国各地に広がり、全国の町家建築に大きな影響を与えてきました。
京町家は、高度に都市化し洗練された都市居住文化によって築かれました。また、全国各地の銘木などの建築材料を取り込むことで、華奢で洗練された今日の京町家ができあがったと想定されます。
3.京町家の保全・再生の視点
暮らしと京町家と都市の関係
当時、豊かになった京の町衆は、お茶、お花、句会などを家で楽しむようになり、広い座敷をしつらえる必要が生まれ、木造の建築技術が一層合理化されました。今日の京町家の原型を形成した江戸時代、この広い座敷で接遇するときに、背中を向けた客に失礼のないようにとの配慮から、背中に大きな飾り結びをもつ幅広の帯が商品開発され、それがお茶、お花の文化と共に全国に普及し、大きな利益をあげました。その利益が更に京町家に再投資され、畳や桟瓦の普及となり、新たな都市居住文化が花開いていったのです。
京町家の保存・再生の検討の視点
このように京町家は、町衆と大工の棟梁たちの協働作業により長い時間をかけて少しずつ形成され、都市活動による利益が都市の中に蓄積されてきたものと考えることができます。
京町家の保全・再生を検討していく視点は、単に、建物としての京町家を文化財のように保存するだけではなく、都市住民の暮らしの知恵と工夫により、豊かに住み、働き、学び、憩うことを可能にしてきた京町家の価値を継承・発展していくことにあります。
4.京町家の価値-くらしの文化-
自然とのかかわり
高密度に居住する都市で、京町家は自然と付き合い、自然を暮らしに取り込む工夫を重ねてきました。建物の側面を隣の家と接する京町家にとって、自然を取り込む場所は、通りの表、裏、天空の3箇所しかないため、通りに面しては格子戸を、奥には庭を、そして通り庭には天窓や高窓を設置しました。奥の庭には植栽が施され、更に奥行きのある京町家では、中間に坪庭を配置することで夏の蒸し暑い表の通りとの温度差によって、風の流れを住まいに取り込むといった工夫が見られる空間になっています。
このように、人が気持ちよく生活していくための暮らしの知恵が積み重ねられ、四季折々の季節の変化に合わせた暮らしが定着したのです。祭事や夏座敷への模様替えなどが、日々の生活にリズム感や潤い、けじめ等をもたらし、一つの部屋を多様に使う生活様式もこのような暮らしの文化から生まれたものです。
更に、生活の中で微妙な光の変化や植栽の変化等を常に感じることができる京町家は、西陣織や京友禅等の美しい色、柄等を創造する美意識を培ってきたともいわれており、自然との豊かなかかわりは産業や芸術にも大きな影響を与えてきました。
家族とのかかわり
自然と積極的にかかわっていく暮らしは、その暮らしを支えていく家事の役割分担や祭事などを親から子へと伝承していくことを通じて、家族のかかわりを強め、子供の教育にも大きな役割を果たしてきました。
続き間の住まいは、家族間のプライバシーの確保が難しいものですが、お互いの配慮と気遣いが求められるため、より豊かで強い家族関係を築くことができたともいえます。
地域とのかかわり
京町家は格子と通り庭によって、表と隔てられています。内と外のつながりは多様になっています。
通りに向かって長く伸びた通り庇は、ある時は雨宿りに、ある時はばったり床几を出して展示や休憩に、またある時は幔幕を張ってお祭りの空間にと、実に多様に使われ、通りの公的な空間と内側の私的な空間をつなぐ半公共的な空間を形成しています。
また、格子は機能面でも優れています。道ゆく人からは内側が見えにくいですが、家の中からは外の様子がよく見えるようにできており、柔らかい防犯装置としての機能を持っています。一方、その店の様子を知りたい人には、その前に立ち止まると中の様子がよく見えるようにショーウィンドウの役割も果たしているのです。
通り庭に入ってすぐの場所は、店の一部や応接の場として使われ、誰もが入れる場所です。もう少し奥の台所と一体となった空間は、その家に用事のある人だけが立ち入る場所となっていました。このように、通り庭は、来訪者が多くの家人と顔を合わせながら用事を済ませる、コミュニケーションの場となっています。
5.京町家の価値-空間の文化-
京町家の意匠と自然との共生
京町家は、千本格子、瓦屋根、通り庇、虫籠窓(むしこまど)に構成される美しくリズム感のある外観をもっており、華奢で洗練され、数寄屋建築の要素を持ちながら、統一された寸法体系と素材による規格化された合理性も持っています。
一方で、微妙に異なる棟や庇の高さや格子の意匠、看板、通り庇の屋根材などが変化を生み出し、暖簾(のれん)や幔幕(まんまく)、簾(すだれ)、犬矢来(いぬやらい)などによって様々に演出され、一つ一つの京町家に個性を感じることができます。
中に入った通り庭上部の吹き抜け空間は、単に火袋としての台所の煙を逃がす機能だけでなく、木造の軸組構造の意匠が伸びやかで美しく、繋ぎ梁の架構は職人の技を競い合う場でもありました。
奥の庭に面した座敷は、主人の好みに合わせた素材や様式による床の間などがしつらえられており、こだわりと誇りを感じることができます。また、庭は、主人の嗜好と職人の技によって造られ、四季折々の植生の変化や一日の光の変化、雨や風の音などを楽しむことができます。
京町家で使用されている材料は木、紙、土、石といった自然素材であり、今日でいう健康住宅であるだけでなく、大きな意味での自然との共生を図ってきました。
高密度の職住共存の都市空間の形成
鰻の寝床といわれる京町家の細長い敷地は、比較的狭い道路を基盤にしながら、低層建築が横に連なって高密度な都市空間を実現しています。比較的大きな京町家が庭を充分取りながら立地している下京区の街区における京町家の平均容積率は約120%であり、中層市営住宅団地の容積率の約1.7倍、高層市営住宅団地の約0.7倍の建築密度となっています。
京町家は、その時々の必要に応じて多様にその空間を使える構造にしており、一つの家の中で家族の変化や祭事などに対応してきただけでなく、建物が一緒でもその使用用途は自由であり、多様な用途の混在する職住共存の都市空間を可能にしてきたのです。
維持修繕にかかる建築システム
伝統的な木造軸組建築は、維持修繕していくことを前提とした建築システムです。腐食した部材は取り替え、ゆるんだ接合部は締め直し、屋根は葺き替え、壁は塗り替えをして、長い年月にわたって維持していく建築であり、容易に修繕することができるように、様々な建築的な工夫がなされていました。
また、施工体制なども、出入りの大工が常に点検し、適切に修繕を実施することができるようになっており、一件一件の請負契約でなく、年間を通じた雇用契約に近い関係が形成されていたほか、寸法の統一により、互換性を持った建具や畳などは、繰り返し最後まで無駄なく利用されていました。
火災に対しても多くの配慮が見られ、通りの向かいの家の火災に対しては、建物の高さを押さえることによって、また、隣家からの火災に対しては、うだつによって、更に、裏の家の火災に対しては、蔵や奥庭を設けることによって、延焼を防いでいました。
6.京町家の価値-まちづくりの文化-
住民によるルールの共有
京町家の原型が形成された江戸時代は、比較的頻繁に居住者が入れ替わる状況があったため、「町式目」「町定」としてまちづくりのルールが、明文化され、共有されていました。
たとえば、当時の都市において最も配慮が求められていたのは火災などに対する安全性の確保だったため、瓦屋根や蔵等により建築的な対策を進めると同時に、火災発生時の住民の消火活動に関して細かく規定され、参加しない住民には罰則が設けられていました。
両側町のコミュニティ活動に必要な費用は、取り決めにより町の構成員が負担し、木戸門の改修や町の会所の維持費等に充てています。また、町内で事務担当者を雇用し、連絡調整などの事務を依頼することで、円滑な活動を維持していました。
職住共存の経済効果
魅力的な京町家や京ものと呼ばれる生産物などを持つ京のまちは全国の憧れの的であり、当時も全国から観光客やビジネス客、文化人などを集めていました。そして、こうした人々が、全国的に京都の情報と商品を広めると同時に、全国の情報と商品を持ち込んできたのです。
こうして、住み、働き、学び、憩うという多様な機能が複合する職住共存のまちは、地域の中での経済的な相乗効果だけでなく、多様で魅力的な京都のまちに多くの人を集め、交流することが次の商いにつながるという経済効果をもたらし、都市の活力を維持してきました。
今日の老舗にもこうした精神が引き継がれ、常に地域住民との交流を図ると同時に、他都市に進出することなどを通じて新しい情報を仕入れ、次の商品生産に生かし続けています。京都の老舗はベンチャー企業であると言われるゆえんはここにあるのです。
都市居住の文化
町中に住むということは、単に寝泊りすることではなく、様々な都市活動とかかわりを持つことであり、こうした多様な交流を空間面から支えてきたのが京町家でした。
また、京の町衆には、密度の高い多様な交流を円滑に進めていくための高度な交際の型が必要とされ、「ぶぶ漬け」「はんなり」という言葉に象徴されるように、それらが色濃く京都の独自の都市居住文化を形成してきました。
また、当時は地域住民による福祉活動は大変に活発でありました。
京町家の建築生産の仕組みには、部材の再利用や有効利用の工夫がなされ、既存の木材、壁土、瓦などは積極的に活用され、廃棄される建築部材は少なかったということです。
7.京町家の現代的役割
まちづくりにおける役割
多くの市民に愛されている京町家は、京都の魅力的で個性的な都市空間を形成するまちづくりの資源として期待されています。
京町家が蓄積してきた、住み、働き、学び、憩うという職住共存の都市居住文化は、活力ある循環型の社会を形成していく、21世紀における原点として期待されています。
国内外を問わず多くの関心を集めている京町家は、魅力的な暮らしや商いを含む都市居住文化が体験できるアーバンツーリズムの資源として期待されています。
立地上、自然や周辺地域とのかかわりを身近に感じることができる知的な創造環境として優れている京町家は、こうした環境を求める新事業を創出する施設として多くの可能性を持っています。
自然素材を使用し、規格化された寸法体系により標準化された、再生可能な合理的な建築生産システムを持つ京町家は、人に優しいだけでなく、京町家の持つ建築生産システムの学習や実践を通じて、新たな環境共生の社会システムの創造を牽引していく人材を育てる可能性を持っています。
人を引きつける魅力を持つ京町家の保全・再生に関する活動への参加を促すとともに、保全・再生を契機とした地域住民による主体的なまちづくりの取組や投資などを京都に集めてくる可能性を持っています。
京都市民にとっての役割
京町家の居住者以外の京都市民にとっても、京町家と日常的に接することを通じて、京都に住んでいることを実感し、京都市民であることを誇りに思う存在としての役割が期待されます。
京都らしさを象徴する京町家は、その存在を通して京都市民の豊かな暮らしを実現するまちづくりへの価値観を共有させてくれる可能性を持っています。
京町家の居住者にとっての役割
四季折々の自然の変化を暮らしに取り込み、また祭りを通じてコミュニティを維持するなどの文化的な都市生活を背景として、多様な交流を進め、ものづくりや商いに反映していくという、豊かな職住共存の都市居住の文化を支えてきた京町家は、今後も、居住者による豊かな都市生活を持続させていく役割が期待されます。
京町家は、自活の担い手であり今日もその伝統を引き継ぎ、地域のまちづくりに取り組んでいる居住者の暮らしや生活を支えることにより、居住者に誇りを持ってまちづくり活動を持続させていく役割が期待されます。
住み慣れた地域社会の安定性・持続性は安心・安全の基礎となるものであり、京町家は、地域の安定の核としての役割を果たしながら、これからの生活様式や時代の変化にも柔軟に対応できる住まいあるいは事業空間として、安心して暮らし続けたいとする居住者の願いに、将来においてもこたえていくことができる可能性を持っています。